祖父の亡くなる3日前の話。
外泊許可が出たものの、祖父の様子は良くなさそう…
お医者さまも、
「家に帰りたいとおっしゃってますが、
少し今までと違う感じがするので、
もしかするとお家で息を引き取られる可能性があります」
と言われる。
車椅子に座ってられるか、
それすら危うい感じだったけど、
本人は帰る意志が強く、
タクシーが迎えに来た途端、しっかりとした様子に変わる。
2ヶ月ぶりの帰宅。
「じいちゃん、お帰り〜」
と声をかけるとニッコリする祖父。
ゆっくり部屋で休んでもらうはずが、
それからすぐ大変な騒動が起こる…
どうしても依然とおなじように、
お風呂に入ってシャワーを浴びたいと言う。
団地の狭い浴室。
小さな風呂イスに座ることは無理に等しい。
食卓で使っていたイスにビニールを巻きつけて、
これに座ってもらおうとセッティングする。
しかし、なぜか祖父はベッドから移動するときも
「車いすはいらない」と言って聞かない。
裸になってしまった祖父は
ベッドに座っていることも出来ず
支えていないと倒れてしまう。
痩せてしまった祖父も私一人で支えるとなるとかなり大変。
手を出せずにおろおろしている母の存在はわかっているようで、
「なぜ手伝わないのか!手伝いなさい!」と言う。
私もパニック、母もパニック…
それでも「風呂場へ連れていけ」と言う祖父。
しばらくして何とか車いすに座ってくれた祖父を
風呂場まで連れていくが、
今度はセットしたイスには絶対座らないと言う。
「いつもと同じように風呂場に入りたい」と…
「それは無理だよ」と説明してもわかってもらえなくて、
どうすることもできなくて、、
そうこうすると、車いすからもズレ落ちてしまいそうになり、
また支える。
でもそれも難しくなり、
浴室前の床に祖父は倒れこんでしまった。
車いすに座りなおさせることも、
どうすることもできなくて、
それでも「お風呂に入らせてくれ」と言う祖父。
結局、何とかシャワーの届く範囲にお湯をかけて、
タオルで拭く。
ずっと裸だった祖父は「寒い寒い」と言い出し、
私はあるだけのタオルケットや毛布で体くるむ。
疲れてしまった祖父はそのまま眠ってしまった。
時計を見ると、帰ってきてから三時間経っていた。
せっかく帰ってきたのに、
楽しいことやくつろぎを感じてもらえない…
三時間ですでに体中が痛くて途方にくれる私。
外泊は二泊三日の予定だったけど、
もはやギブアップしそう。
介護の大変さを身にしみて感じる。
目をさませた祖父を
タオルケットを担架がわりにして
母と布団へ運ぶ。少し一安心。
そのあとも物音がすると祖父の様子を見ながら、一夜を過ごす。
翌朝起きると祖父は、
「朝ごはんを食べなさい」と言っている。(ようだ)
ここ何日間かで声が出にくくなっているようで
理解がしにくい。
ジェスチャー、紙に書いてもらうが
それでも分かりにくい。
食欲もないなと思いながら
ベッドを見ると、祖父の胃ろうのチューブが置いてある。
?????
どうやら、引っこ抜いてしまったようだ。
あわてて病院へ連絡。
「とりあえずガーゼをあてて、病院へ来てください」とのこと。
そのあと、背中の痛みを訴えだした祖父。
車椅子に乗ることも不可能そうなので、救急車に来てもらう。
病院へ着くと、痛みはなくなったようで
安心したのかなぁと看護士さんと話す。
私と母もホッと安心して後片付けに戻った。
どうしてあんなにお風呂に入りたがったのか・・・
亡くなる日も、体調は悪いのに
「入りたい」との希望はしっかり伝えたらしい。
旅立つ前に体をきれいにしたい、
そんな気持ちが生まれるのかもしれないな
と今になって思う。
2007年11月27日
2007年11月23日
遺品整理
祖父が亡くなって、次にくるもの。
それは住んでいた場所の整理。
祖父母は10年ほど前から
公営住宅に住んでいたので、
きちんとキレイにして明け渡さなくてはいけない。
あちこちに問い合わせして、
キリのいい今月末に明け渡すことに。
でも、二人の残した遺品をどうするか。。。
前からちょっと知っていた
遺品整理の会社にお願いすることにした。
でもその前に一応ざっとチェックしなくてはと
母を伴って、押入れやら、タンスなどを見てまわる。
せっかく分類したのに(していないように見えるせいか)
母がまた触って混ざってしまう。
「そこ、触らないで!」と思わず言うと
しょんぼりする母。
何とかチェックは済み、見積もりをしてもらう。
結構いいお値段はするが、
私たちだけでは片付けは無理なのでお願いする。
そんな中、本棚から祖父の日記が出てくる。
今年の春先で途切れてしまっているが
祖母が亡くなる前の年から、5年分ほど
毎日つけていたようだ。
祖父には申し訳ないけど、読ませてもらうことにした。
日記には、高齢になって独りで暮らす
寂しさや不安が多く綴られていたが、
自らを奮い立たせる言葉も添えられていたりして
さすがだなと思った。
私に対しての日記もあった。
祖父に会うときは、なるべく元気で明るくを努めていたせいか
「nozomiは明るい、元気な子だ。」と。
でもね、おじいちゃん
ホントは一生懸命にそう振る舞っていたんだよ。。
って気持ちがポロっと出てきた。
祖父の家のドアを開けるとき、
祖父へ電話するとき、
私は自分のスイッチをONにしていたと思う。
(元気のないときも・・・)
でも、それで祖父が安心してくれていたのなら
いいのかな。。。とも思う。
そしてONの私もOFFの私も受け入れてくれる人で
今一番近くにいるのは、やっぱり母なのかなぁと
また思わされる。
それは住んでいた場所の整理。
祖父母は10年ほど前から
公営住宅に住んでいたので、
きちんとキレイにして明け渡さなくてはいけない。
あちこちに問い合わせして、
キリのいい今月末に明け渡すことに。
でも、二人の残した遺品をどうするか。。。
前からちょっと知っていた
遺品整理の会社にお願いすることにした。
でもその前に一応ざっとチェックしなくてはと
母を伴って、押入れやら、タンスなどを見てまわる。
せっかく分類したのに(していないように見えるせいか)
母がまた触って混ざってしまう。
「そこ、触らないで!」と思わず言うと
しょんぼりする母。
何とかチェックは済み、見積もりをしてもらう。
結構いいお値段はするが、
私たちだけでは片付けは無理なのでお願いする。
そんな中、本棚から祖父の日記が出てくる。
今年の春先で途切れてしまっているが
祖母が亡くなる前の年から、5年分ほど
毎日つけていたようだ。
祖父には申し訳ないけど、読ませてもらうことにした。
日記には、高齢になって独りで暮らす
寂しさや不安が多く綴られていたが、
自らを奮い立たせる言葉も添えられていたりして
さすがだなと思った。
私に対しての日記もあった。
祖父に会うときは、なるべく元気で明るくを努めていたせいか
「nozomiは明るい、元気な子だ。」と。
でもね、おじいちゃん
ホントは一生懸命にそう振る舞っていたんだよ。。
って気持ちがポロっと出てきた。
祖父の家のドアを開けるとき、
祖父へ電話するとき、
私は自分のスイッチをONにしていたと思う。
(元気のないときも・・・)
でも、それで祖父が安心してくれていたのなら
いいのかな。。。とも思う。
そしてONの私もOFFの私も受け入れてくれる人で
今一番近くにいるのは、やっぱり母なのかなぁと
また思わされる。
2007年11月14日
変化
先週、祖父が亡くなった。
この前後、本当にいろんなことがあった。
祖父の一時帰宅。
父との衝突。
祖父の死。
そしてまた、父と衝突。
お通夜、お葬式、はじめての喪主。
いろいろあって、いろんな思いがぐるぐる回ったけど
まず思ったことは、祖父の偉大さ。
私はこんな祖父を持てて幸せだったなぁということ。
そして、認知症である母が、できないことが増えつつあるなかで
祖父の病気、死を理解できる状態でいてくれたこと
一緒に祖父を見送れてよかったなと思う。
それが一番心配だったから。
お葬式が終わり、少し気持ちが落ち着いてきたと思ったら
昨日仕事先から、メールが届く。
今まで融通を利かせてもらっていたけど
どうやら、仕事先の事情で、私の仕事にも一区切り?が
来るような文面。。。
なにごとにも、いつかは終わりが来るんだろうけど
これもまたショックだった。
亡くなった祖父母宅の整理などが済んだら、
また私の生活の仕方もちゃんと考えないとな。。。
そうこうしている間に、今年も残り少なくなってきた。
今までにない一年を過ごしている感じがする。
この前後、本当にいろんなことがあった。
祖父の一時帰宅。
父との衝突。
祖父の死。
そしてまた、父と衝突。
お通夜、お葬式、はじめての喪主。
いろいろあって、いろんな思いがぐるぐる回ったけど
まず思ったことは、祖父の偉大さ。
私はこんな祖父を持てて幸せだったなぁということ。
そして、認知症である母が、できないことが増えつつあるなかで
祖父の病気、死を理解できる状態でいてくれたこと
一緒に祖父を見送れてよかったなと思う。
それが一番心配だったから。
お葬式が終わり、少し気持ちが落ち着いてきたと思ったら
昨日仕事先から、メールが届く。
今まで融通を利かせてもらっていたけど
どうやら、仕事先の事情で、私の仕事にも一区切り?が
来るような文面。。。
なにごとにも、いつかは終わりが来るんだろうけど
これもまたショックだった。
亡くなった祖父母宅の整理などが済んだら、
また私の生活の仕方もちゃんと考えないとな。。。
そうこうしている間に、今年も残り少なくなってきた。
今までにない一年を過ごしている感じがする。

